昌福寺

http://www.y-shinpou.co.jp/108/089jumyo.htm
http://blog.livedoor.jp/tanpoki_iwama/
彼と最初に合ったのは、10数年前、新宿西口の新宿の目だった。いや、その前にネットで出会ったというべきだろうか。彼の事は、ネットのメディアとしては今はすっかり廃れてしまったNetNewsの、fjで見かけたのが最初。そして、ほどなく、彼が発起人の一人だった、テクノミュージック系のメーリングリスト(ML)で、彼と話すようになった。
そのMLで、DJのマネゴトでもしよう、という話になり、何人かのメンバがレコードを抱えて、その日新宿に集った。その中の一人が彼だった。その時は、若く精悍な、そして礼儀正しい人という、印象を受けたことを覚えている。
結局、その日は、予定していた会場が使えなくなり、レコードをまわすことはできなかった。しかたがないので、適当に茶店に入って、うだうだ話したことを覚えている。何を話したかまでは覚えていないのだけれど。

その後、彼とは、ネットでメールのやりとりをしたり、リアルでも、いろいろなクラブイベントで合うようになった。そして、踊り疲れた後、チルアウトルームで、テクノや彼の本業であるコンピュータ関係の話なんかを良くしていた。

この時点では、ある意味、彼と私は同じ場所に立っていた。

しばらくすると、彼は、自らレーベルを始めレコードを出し、そして自らクラブ・イベントを主催し、DJとしてプレイするようになった。

彼のイベントは最高に楽しかった。良い音楽がプレイされる、というだけでなく、クールな笑いの要素にもあふれていた。私は、ちょくちょく彼のイベントに通うようになった。そして、彼のイベントや他のイベントで合うたびに、彼と談笑した。

ネットでは、ちょくちょく彼とやりとりをしたけれど、リアルで彼と合うのは、年に数回といったペースだったろうか?そんなにしばしば合うわけではないけれど、彼や彼の仲間とすごす時間は楽しかった。

彼がそんなふうに作り手側として着実に歩みを進めている一方、私はといえば、テクノに関しては、時々クラブへ遊びにいくだけの、単なる消費者だった。
そんなわけで、二人の立場は変ったけれど、彼は変わらず礼儀正しく私に接してくれた。彼は合い変わらずいいやつだった。

そんな彼が、ちょっとうらやましかった。

彼の本業はプログラマだった。そこでも彼は着実に実績を築き上げていた。彼は友人と会社を起こし、本を書き、プログラムを世に送り出し、そしてそのプログラムで賞を取った。
一方、アマチュアとしてホソボソとプログラミングなぞをしていた私には、彼は特に特別な存在だった。

そんな彼が、ちょっとうらやましかった。

最近、彼に合ったのは、彼もDJとしてプレイしていた、中野でのイベントでだった。休日の昼間という、いい年になった我々オッサンにはヤサしいイベントだった。

私が着いた時、彼はすでにプレイを終え、ラウンジで彼の友人達と談笑していた。すてきな婚約者も一緒で、とても楽しそうだった。彼の友人達も皆、彼女or奥さん連れ。
私といえば、妻がまるでテクノやクラブに興味がないので、イベントへは独りでやって来ていた。その輪の中に加わったのだけれど、そんなわけで、ちょっと居心地が悪かった。一方、彼はといえば、リラックスした様子で、そしていい意味で大人の風格を漂わせながら談笑していた。

そんな彼が、ちょっとうらやましかった。

そんなことを思い出しながら、中央道の渋滞にちょっと苦労しながら、車で山梨県増穂町の昌福寺までやってきた。ちっともうらやましくない彼に合うために。。。彼とは、以前このダイアリーid:tearus:20050220で書いた彼のことだ。

彼は昨年の2月に36歳の若さで亡くなった。2冊目の著書の出版直前、結婚してまもなくだったそうだ。*1

彼の死については、私にとって、まだどこか信じたくない気持があったのだろう。もう1年半以上になるのに、まだ、なんとなくもやもやするものを感じていた。

無宗教で、神も仏も霊魂も生まれ替りも信じない私には、墓参りなんて、本当は意味のない事なのだけれど、それでも、彼の死を実感するには、ネットから情報では十分ではなかったようだ。リアルな物理的な存在感のある証拠を見ると、いやでも納得できそうだな、と思ってがベターだと思われた。(私も古い人間ってことか?)

昌福寺は日蓮宗の古刹とのことで、なかなか立派なお寺だった。お寺の方々は、とても親切で、彼の墓の場所を尋ねると、待っている間に缶コーヒーを出してくれたり*2、わざわざお墓まで案内してくれた。ちょっと恐縮してしまう。

我々が墓につくと、お線香が供えてあった。お寺の人によると、なんでも、ほとんど毎日、親御さんがお参りされているという。もうちょっと早くきたら、彼の親御さんにご挨拶できたのかもしれない。
私にとっても、「ちょっとうらやましかった」彼のことだ、彼のご両親にしてみれば、自慢の息子だったことは想像に難くない。今もご両親に愛されているのだろう。それを思うとなんとも複雑な気持になった。
彼の墓には彼のお爺さんの名前だけで、彼の名前は刻まれていなかったが、お寺の人は、墓の一角に立ててある幾つかの卒塔婆を差して、「これが彼の戒名です。ここに彼の名前の「智」の字がありますよね。」と説明してくれた。

お寺の人に礼を言い、彼が去った後、クラバーらしく(?)彼の墓に、持参したペットボトルのミネラルウォーターを掛け、線香をあげた。そして、霊の存在を信じない自分には、まったく自己矛盾なのだが、手を合わせた。楽しい時を過せたことへの感謝気持と共に。。それは行き場のない感情だし、意味のない行為なのは判っているのだけれど、生きている私としては、そんな感情は湧いてくるし、何らかの形でそれを表わしたくもなる。よくよく考えると空しいんだけれど。
まったく、こういう時(だけ)は、宗教や霊魂の存在を信じたほうが精神衛生上楽だな、とは感じる。

今回の、墓参りを計画している途中、やはり同じMLに参加していた、そしてやはりDJをしていたもう一人の知人の訃報が飛びこんできた。先日書いた彼のことだ。それもあり、なんとも複雑な気持のまま、山梨に向うことになった。

そして、墓参りの後も、人の生と死について、考えることが多かった。やっと最近、なんとなく自分の考えもまとまってきた。
気が向いたらそれを書くかもしれない。といって、たぶん面倒なので書かないで自分の胸に仕舞っておくんだろうな。

最後になったけど、合ったこともない人の墓参りにつきあってくれてありがとう。->妻

*1:その時は、このダイアリーに、春になったらいこうとか書いていたのだが、結局1年半も経ってしまった。

*2:同じ苗字の方が多く、確認に時間がかかったそうだ。