温泉教授の温泉ゼミナール

ISBN:433403120X
先日、うまい日本酒はどこにある ( ISBN:4794213476 )を取り上げたけど、それと対照的なのがこの本。タイトルにもあるように筆者の松田忠徳氏は札幌国際大学観光学部教授(温泉文化論) http://www.siu.ac.jp/demae/kanko/matuda.html だそうで、うまい日本酒はどこにあると違って、専門家の手になる書である。
で、専門家なら専門家ならではの冷静な目で専門的、理論的、学術的な話を素人にも解りやすく解説してくれる、かというと、これがそうでもない。
現在の温泉を取り巻く危機的状況を説き(ここまでは、うまい日本酒...とある意味一緒だが)、多くのページを割き*1何も知らない読者*2を煽るだけ煽って危機感を植えつけようとする。しかも、その煽り方がおよそ専門家らしくない。一見科学的なのだがよく読むと非科学的なことやら、単なる自分の感想やら予測を含む、非客観的な説のオンパレードなのである*3
多少化学(高校程度で十分だ)の知識がある人なら、議論の杜撰さに気がつき、話半分で読み流すこともできるだろうが、普通の人は「教授」という肩書を信頼して信じてしまうかもしれない。
また、彼は、温泉力*4という言葉をキーに温泉の良し悪しを語り論を進めている。彼によれば、

花鳥風月を愛でる精神的な民族である日本人にとっての"温泉力"とは、浸かったお湯から得られる快楽度の良し悪しがバロメーターとなる。

だそうだ。全く客観性に欠けた言葉である。これでは、温泉力に関わる彼の主張全体が、彼の主観的な好みを語っているに過ぎないことになる。
本当に筆者が読者に本物の温泉を知って欲しいというなら、読者に本物の温泉を見分けるだけの知識と方法を伝授すべきだろう。単に旅館に予約を入れる時に、「源泉かけ流しですか?」と聞くことを勧めるだけでは、不十分であろう*5。ましてや、体験的温泉鑑定法に至っては、単に入浴して気持良い温泉が良い温泉だと言っているに過ぎない。良い温泉とは客観的にどういうものか、どうすれば良い温泉に巡り会えるのかについての知識はあまり教えてくれない。温泉分析書の見方なども一応教えてくれるのだが、泉温と湧出量を教えるだけで、成分分析結果の見方など教えてくれない。温泉成分と効能やら主観的快楽度(温泉力?)には、どう考えても強い相関があると思うのだが、循環の問題に比べれば取るに足りない問題だと筆者は言うのだろうか?
また、もう一つ問題点を指摘しておくならば、温泉の経営側、特に大規模温泉地のそれに立った論が少ないことがあげられよう。湯布院、黒川温泉についてはやや触れられているが、それとて、「経営」の観点はかなり欠落していると言える。資本の論理についても批判的な点が目につく。消費者側の論理だけでは、産業として上手くまわるものではない。望ましい産業の発展のためには、温泉の提供側、消費者側が共に成長する必要がある。観光学部の教授がこのような一方的な視点で良いのだろうか?
とはいえ、彼の「ふるさと創生1億円事業」以降増えた公共温泉の問題点の指摘と、「温泉のディスクロージャーを」という提唱には頷ける点もある。まぁ、ディスクロージャーはここ何年かの流行だし、極めて当り前のことではあるが。
結論としては、悪い意味で、うまい日本酒はどこにあると大きく異なった本であった。筆者の平成10年1月から翌11年9月にかけて、2500湯をチェックしたという温泉行脚の経験は尊敬に値するし、彼の専門の温泉文化論に関する点*6では、一般の人が知らない事実も記載されている。読む価値がないとまでは言わない。しかし、彼の「温泉力」を軸とした論理の展開は結局マニアの一方的な願望を述べただけと言っても言い過ぎではないだろう。

*1:全4章のうち第1章「温泉の危機」だけで全体の半分以上のページを割いている。

*2:読者層は新書だし、一般ピープルを想定しているようだ

*3:一々ツッコミを入れる気もないし、その必要もないが、一応、いくつかあるうちの一例をあげておこう。彼は主に塩素殺菌機能付きの循環式濾過装置の問題を取り挙げているのだが、その中で、残留塩素と塩素イオンを混同している点がある(p.31)。また、水に含まれる残留塩素濃度と、空気中の塩素濃度の議論も混同しているようでもある(p.33)。自称「科学者でない」(p.117)筆者に厳密な定量的議論を望む気もないが、科学者でないと言って逃げを打つくらいなら、このような議論に首を突っ込むべきではないだろう。塩素については、濃度が高ければ問題があるのは間違いない。しかし、当然ながら、こういう問題は定量的に議論すべきである。その意味で私自身は議論に深入りできないが。:-p

*4:「それはホンモノの温泉のみに秘められた、われわれ日本人の"元気の素"であった。」とのこと。

*5:これについては、SPA!10月19日号でノンフィクション作家の桐山秀樹氏が批判している。どうも彼は、他の点でも松田氏を暗に批判しているようだ。私も彼の意見は至極真っ当だと思う。彼も温泉のディスクロージャーには重きを置いてるようだが、これはもっともな話だ。

*6:湯布院や黒川温泉の事例等